【 久能山東照宮 】


晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616)に死去した後、遺命によりこの地に埋葬され(後に改葬され日光の日光東照宮に移された)ました。
久能山東照宮は徳川家康の遺言により2代将軍秀忠公が建立し、家康公を祀りました。権現造りの社殿は、楼門や神楽殿などとともに国の重要文化財に指定されていて、本殿の裏手には家康の墓所があります。
50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、2006年に社殿の塗り替えが完了(現在も一部、修復作業中)しました。

(2007年11月12日訪問)
 
全体図。
社務所で拝観料を払い、境内へ。楼門(重要文化財)が見えています。
楼門(重要文化財)
前面に後水尾天皇御宸筆の「東照大権現」の額が掲げてあるそうです。
楼門から唐門方向。
唐門(重要文化財)。
ここからは入れないので、この石段手前を右に折れて進み、日枝神社への石段を上ることになります。
日枝神社(重要文化財)
旧御本地堂で薬師如来を安置してあったが、明治3年の神仏分離の際に仏像を廃し、後に今の名称に改めた。
元和3年(1617)の建造。
(案内板から)
日枝神社の前から透塀と、その向こうに拝殿(左側)と本殿。
本殿。
拝殿。
拝殿を背に、唐門を通して鳥居・楼門。
拝殿を右に見てその前を進み、右に折れるとこの扉があり、その向こうには廟所に通じる廟門(重要文化財)があります。
廟門をくぐって進むと、廟所へ向かう石段
重要文化財 神廟(しんびょう)
家康は元和(げんな)2年(1616)4月17日に薨去し遺命によってここに埋葬された。廟の高さは6メートルで、西向きになっている。(案内板から)
神廟の左後ろです。
家康の手形。
実割梅(樹齢370年余)は、家康が駿府城にいた時に植えたもので、この地に移植されたらしい。


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