九州以外で発掘されたのはここだけだという「石馬(せきば)」は、米子市淀江歴史民俗資料館(よなごしよどえれきしみんぞくしりょうかん)で見ることができるのだと思っていた。 しかし、残念ながら見ることが出来なかった・・・。 (2009年9月24日訪問) |
米子市淀江歴史民俗資料館(よなごしよどえれきしみんぞくしりょうかん)の近くにあった「石馬(せきば)の案内板」にあった写真です。 大山から産出される角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)から削りだして作られた石製の馬です。現存で体長約150cm高さ約90cmです。 ご神体として、古くから祀られて来ました。出土地ははっきりとしませんが、6世紀中頃の築造と推定される石馬谷古墳(前方後円墳 全長約61.2m)にたてられていたと言われています。 石馬の胴体と後脚は補修接合されていますが、前脚は失われています。鞍・手綱・鐙などの馬具が装着された状態を細かく写実的に表現しています。また、たてがみ、面長な顔など馬の特徴が良くとらえられています。 一部に赤色顔料が残っており、過去には馬全体が赤色にぬられていた可能性が指摘されています。 なお、この石馬と同じ石材を使用して作られた、石人の下半身と考えられる石製品もあります。 石馬が樹立されていたと考えられている石馬谷古墳が6世紀中頃に築造されていることから、この石馬も古墳時代のものと推定されています。 石馬は、岩戸山古墳をはじめとして九州北部に数例ありますが、本州ではこの石馬が唯一のものです。古墳時代後期における九州との交流の一端をうかがい知ることのできる貴重な資料です。<案内板の写真と記述から> |
8:39頃、米子市淀江歴史民俗資料館(よなごしよどえれきしみんぞくしりょうかん)の入口です。 石馬は天神垣(あめのかみがき)神社に移転されたんですね・・・。 資料館に収蔵される前は、石馬は天神垣神社に祀られていたそうですから、返還させられてのでしょうか・・・?。 いずれにしても、神社に行ってみます。 |
米子市淀江歴史民俗資料館は、この画像中央部右側に写っている塔の右側にあります。 神社はこの画像を横断している道路を右方向に進み、上淀廃寺に行く途中にあります。 この画像を写している右後方に石馬谷古墳への入口があります。 |
石馬谷古墳への入口です。 |
現地にあった古墳の案内板です。 |
天神垣(あめのかみがき)神社の参道・鳥居です。 |
神社の由緒書きです。 石馬」ことも書かれています。 |
鳥居の所から石段の上部方向です。 この石段を半分くらい上って、左後ろを振り返ると次の画像です。 |
石馬の保管施設だと想像します。 これでは一般の人が見ることが出来ませんね・・・。 画像下部に写っている石碑は次の画像、 |
石馬碑文だそうです。 |
天神垣(あめのかみがき)神社です。 |
境内にあったもの。 |