【 牛島閘門 】

牛島閘門(うしじまこうもん)は富岩運河環水公園の近くにあり、国の登録有形文化財に登録されています。
富岩運河環水公園の建設に伴って一度取り壊されましたが、2001年に復元されました。

牛島閘門は、昭和9年(1934)に富岩運河と「いたち川」の間に建設されたもので、川船が運航できるように約60cmの水面の高低差を、門扉の水中部に設けられている通水扉を開閉して調節します。
閘門は大きく閘室と門扉で構成され、閘室の主部分は鉄筋コンクリート造で、門扉を支える部分は、耐久性と水密性を考慮して石組み構造となっています。
門扉は現存していなかったため、昭和初期の写真を基に建設当時と同じ木製の門扉に復元されました。

 牛島閘門の歴史
昭和5年(1930)県施工の富岩運河建設事業着手
昭和9年(1934)富岩運河、牛島閘門完成
平成元年(1989)富岩運河環境整備事業に着手
平成13年(2001)富岩運河環境整備事業の一環として、牛島閘門復元
平成14年(2002)国登録有形文化財に登録
<案内板から>

閘門(こうもん)は、水位が異なる河川や運河、水路の間で船を航行させるための施設です。

(2010年4月19日訪問)
 
16:27頃、環水公園側から閘門方向です。
この画像に写っている橋の上から写したのが次の画像です。
環水公園側からみた牛島閘門です。
上の画像を写したところで振り返って、環水公園側の画像です。
閘門を使って船を航行させる方法。

富岩運河から進んできた船@は、上流側(絵では右側)の門扉を閉め、下流側(絵では左側)の門扉を開けた状態で、Aの位置(閘室)に入ります。
次に下流側(絵では左側)の門扉を閉めて、上流側の通水扉から上流の水を閘室内に流しこみ、船をBの位置まで上昇させます。
そうなった段階で上流側の門扉を開いて、船は上流方向(いたち川)へ進むことができます。
平面図と断面図です。
明治初年の神通川です。

神通川の馳越線(はせこしせん)工事
富山市の中心部を流れる神通川は、明治の中頃まで、富山城の北側で大きく蛇行していたため、大雨のたびに溢れていました。
このため、オランダ人技師の提案を受け、明治34年(1901)〜明治36年(1903)に神通川の蛇行区間の西側に、洪水を流す直線状の水路を建設し、川の流れを直線化する「馳越線(はせこしせん)工事」が行なわれました。
この水路は、洪水の時に自然の力を利用して少しずつ幅を広げていくもので、大正年間には、下の画像のように、完全に流れを移し替えました。
<現地にあった案内板から>
昭和初年の神通川です。

富山都市計画事業と富岩運河
神通川の馳越線工事の結果、元の神通川はわずかに松川を残すのみで、広大な廃川地が富山駅と市街地の間に横たわり、都市の発展に大きな障害となってきました。
このため、昭和3年(1928)、東岩瀬港(現在の富山港)から富山駅北まで約5Kmの運河を作り、運河を掘ったときの土砂で神通川の廃川地を埋め立て、新市街地を作る計画を作成しました。
<現地にあった案内板から>
現在の様子です。

「富岩運河」は、富山県で始めての都市計画事業の一環として、昭和5年(1930)から建設を行い、昭和9年(1934)に完成しました。運河の建設によって、運河に沿って、工業地帯が形づくられ、かつての神通川の跡地には県庁や市役所などが建ち並ぶ、新しい町が生まれ、富山の都心が形づくられました。

富岩運河の危機と再生
昭和30年代半ばから、物流の中心がトラック輸送となってくると、運河の水運の機能は失われ、水も汚れてきたため、一時は運河を埋め立てる計画が立てられましたが、その後県はこれを見直し、まちなかの貴重な水面を保持・活用する方針へと転換しました。
昭和60年(1985)以降、汚れていた水をきれいにし、岸辺に散策路を設けるなど、富岩運河の保存・再生に取り組み、さらに使えなくなっていた中島閘門と牛島閘門を建設当時の姿に復元しました。

運河のまち富山へ
保存・整備された「富岩運河」は現在、市民の憩いの場としてイベントを中心にさまざまに使われています。また平成16年には、運河沿線の自治振興協議会を中心に「運河のまちを愛する会」が設立されました。
<案内板から>
当初の牛島閘門です。
画像左上側が富岩運河の下流方向です。
<案内板から>
閘室側から、下流側の門扉です。
上の画像を写した場所で、上流側の門扉です。
富岩運河側から見た閘室です。
いたち川方面から見た閘室です。
いたち川方面から見た閘門です。
門扉の水中部に設けられている通水扉が確認できます。
ズームで、門扉の水中部に設けられている通水扉です。
ズームでプレートです。
牛島閘門といたち川の合流地点です。
この画像左方向がいたち川下流方向で、この画像に写っている水門の先に牛島閘門があります。
画像右端に写っているのは新四ツ屋橋です。
新四ツ屋橋の上から写した、いたち川上流方向です。
富岩運河側から見た門扉です。
この裏側に回って、門扉の水中部に設けられている通水扉を確認します。
門扉の水中部に設けられている通水扉です。

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