【 補陀洛山寺 】

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は那智勝浦町にある天台宗の寺です。平安時代から江戸時代にかけて、観音浄土である補陀洛へ向けて、人々が渡海船(とかいぶね・とかいせん)と呼ばれる小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海(ふだらくとかい)」で知られます。

隣接して、熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)が建っています。


補陀洛(ふだらく)とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳だそうです。

中世の日本では、遥か南洋に「補陀洛」が存在するとされ、そこを目指して船出することを「補陀洛渡海」と言ったのだそうです。
日本の各地(那珂湊、足摺岬、室戸岬など)から40件を超える補陀洛渡海が行われていて、そのうち25件がここ補陀洛山寺から出発しているのだそうです。

画像にも復元されたものが写っていますが、渡海船は船上に扉のない屋形を設けたもので、屋形に人が入ると、出入り口を外から釘止め・固定されます。
屋形の四方には4つの鳥居が建っていて、「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の四門を表しているのだそうです。

渡海船は伴船で沖まで曳航されて、海原に放たれたそうですが、現実は朽ちたり大波によって沈むまで漂流するわけですが、船が沈没する前に餓死や衰弱死することも多かったのではないかと想像されます・・・。



(2011年6月25日訪問)
 
熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)の鳥居です。
鳥居の所から、神門・拝殿方向です。
神門の所から、拝殿です。
別角度で拝殿です。
この画像を写した場所で左を向くと、次の画像です。
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)の本堂です。
正面から、
本堂です。
境内にあった石碑には、
ここから補陀洛渡海を行った25件について、年代などが刻まれていました。
本堂、
内部です。
本堂に向かって左側にある建物です。
復元された渡海船が展示されています。
屋形部分です。
別角度です。
この中に入って、扉を閉められて、海を漂う・・・。
考えただけで、ぞっとします。
補陀落渡海を捨身施(しゃしんぜ)だと解説するものもありますが、私はそうは思いませんね。
屋形の四方には、四つの鳥居が設えてあります。
補陀洛渡海の案内板です。
船首方向から写しました。
別角度(復元された渡海船方向)から、本堂です。
今回の旅の途中に、小笠原と平泉が世界遺産に登録されたというニュースがありました。
「観光客目当て」以外で、世界遺産なんて何の価値があるんだろう・・・。
西方向を背にして、画像右に写っているのは県道43号線で、県道側から山門への入口です。

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