下関市にある赤間神宮は、「壇ノ浦の戦い」の時に入水し、幼くして亡くなった安徳天皇を祀っています。 巌流島に行くために門司港から唐戸港まで行ったのですが、その時に唐戸港から徒歩で往復しました。 2008年8月24日訪問 |
赤間神宮付近の海岸沿いにありました。 |
この碇(いかり)も上の画像の近くにありました。 海峡守護「碇」の由来安 徳天皇を祀る赤間神宮は、関門海峡の鎮めの神と仰がれています。今を去る八百年の昔、源平壇ノ浦の戦いに平家の大将知盛は全てを見収め、碇を背にして海中深く身を投げました。 その後「碇知盛」の名で能や歌舞伎に演じられ、勇将振りがたたえられています。このいわれをもとに、海参道の入口を選び現代の碇を奉納し、ご祭神の御霊を鎮め、海峡の平安を祈るものです。 昭和60年5月2日 源平八百年祭を記念して 寄進 下関海洋少年団<案内板から> |
上の画像の傍ら(画像右端の上部に、この案内板の端が写っています。)にあった案内板。 |
赤間神宮の遠景、鳥居の手前の道路は国道9号です。 鳥居の向こうは太鼓楼、その右が水天門です。 |
別角度です。 |
鳥居と水天門と太鼓楼。 |
鳥居をくぐった辺りから、太鼓楼と水天門。 |
水天門です。 この門や、長崎の崇福寺楼門のような形式を「竜宮造り」いうそうです。 |
境内にあった境内案内図です。 |
水天門。 |
水天門をとおして、外拝殿の画像。 |
外拝殿です。 |
上の画像を写したところで振り返って、水天門の画像。 |
外拝殿をとおして、内拝殿。 |
別角度で、外拝殿から見た内拝殿の画像です。 |
外拝殿の脇に回って、本殿の屋根・鰹木・千木だけ見えました。 |
水天供養塔 案内板には、安徳天皇と戦時等の海難で亡くなった人々を供養するために昭和25年に建立されたと書いてありました。 |
耳なし芳一堂の、耳なし芳一像です。 |
赤間神宮の平家一門の墓、入口。 |
赤間神宮の平家一門の墓。 |
傍らにあった墓の案内板です。 |
太鼓楼です。 |
赤間神宮に並んで、安徳天皇の陵(みささぎ)があります。 |
宮内庁の、安徳天皇阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)の立札。 |
門に近づいて写しました。 |