唐戸港から観光船に乗り、約10分で巌流島(がんりゅうじま)に着きます。 当日は、唐戸港9:30発の観光船に乗りました。 巌流島の正式名称は「下関市大字彦島字船島648番地」で、島の形が船に似ていることから「船島(ふなじま)」といいますが、武蔵に敗れた小次郎の流派「厳流」をとって、巌流島と呼ばれるようになりました。 決闘が行なわれた当時の島の面積は17,000uで、その後明治から大正にかけて埋め立て工事が行なわれ、現在では当時の約6倍にあたる103,000uになりました。現在は無人島になった巌流島ですが、昭和48年までは人が住んでいました。 <観光船のパンフレットから> 2008年8月24日訪問 |
9:42頃、巌流島の桟橋の上です。 |
巌流島(がんりゅうじま)の案内図です。 |
桟橋から遊歩道を歩きます。 |
決闘の地木碑と巌流島文学碑(船の形をしているもの)の向こうには関門橋が見えます。 文学碑の碑文は「白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。この後も絶えず兎禰の眼に浮かんで消えることのないであろう小次郎の生きている面影があった。」とあります。 兎禰(とね):村上元三作『佐々木小次郎』に登場する小次郎の恋人の名 <観光船のパンフレットから> |
別角度で、決闘の地木碑と巌流島文学碑です。 |
佐々木小次郎之碑 これは、明治43年(1910)に船島の開鑿(かいさく)工事(工期1908〜1910)が完了したのを記念して建てられた碑です。始めは島の中央に建てられていましたが、いつの頃かこの場所に移されました。高さ120cm、幅65cm、厚さ45cmの自然石で造られています。<案内板から> かいさく(開削/開鑿):土地を切り開いて道路や運河などを通すこと。 |
佐々木小次郎之碑付近から西方向の画像です。 島の西半分は民有地だそうで、この画像では垣根の向こう側がそうです。 |
関門橋の眺めです。 |
展望広場にある武蔵・小次郎像です。 |
武蔵像は下関市の廣瀬直樹氏、小次郎像は岩国市の彫刻家村重勝久氏がデザインしたのだそうです。 <パンフレットから> |
展望広場です。 |
展望広場から人口海浜の画像です。 |
人口海浜は、決闘の場所をイメージして作られた砂浜で、浜辺には武蔵が乗ってきた舟も再現されています。 |
展望広場から民有地方向の画像です。 |
釣りデッキからの画像、三菱重工の造船所方向です。 |
釣りデッキから桟橋方向の画像です。 |
桟橋付近に鳥居がありました。 |
祠です。 |
桟橋に観光船が入ってきましたので、乗船します。 |
10:11頃、唐戸港に向けて出航しました。 |