武田信虎の墓がある、甲府市の大泉寺(曹洞宗)です。
総門(甲府市指定文化財) この総門は永慶寺から移築されたと伝えられています。黄檗宗(おうばくしゅう)様式の門として、建物細部の諸要素は宇治万福寺の総門に極めて近似している。(案内板から) |
鐘楼。 |
本堂。 |
武田信虎の墓(山梨県指定史跡:昭和35年11月7日指定) 武田信虎は武田信綱の子として明応3年(1494)年に石和館に生まれた。永正4年(1507)武田氏の家督を継ぎ、武力をもって甲斐国内の統一に成功したが、やがて嫡子晴信(信玄)と対立し、駿河(静岡県)に追われた。流浪の末、天正2年(1574)信濃国(長野県)伊那で病死し、大泉寺に葬られた。法号を大泉寺殿泰雲存康庵主という。 信虎はまた、永正16年(1519)館を躑躅ケ崎(つつじがさき)に移し、甲府を創設したことでも知られている。 (案内板から) |
上の画像の門の後ろ。 |
さらに後ろ。 |
上の画像の左側の建物の裏側。 信虎の墓は、中央の五輪塔(補修の際、上部を相輪状に変えた)がそれである。 |