小千谷市 岩沢

新潟県小千谷市の南端に位置する岩沢の紹介です。

上越線の支線として開業した十日町線 越後岩沢駅

飯山線は豊野駅と越後川口駅を結ぶ路線です。

豊野~十日町間は私鉄の飯山鉄道(いいやまてつどう)によって、十日町~越後川口間は国有鉄道十日町線(とおかまちせん)として開業し、両線は昭和4年(1929年)に繋がって全通しました。その後昭和19年(1944年)に飯山鉄道が戦時買収によって国有化され、十日町線を含めて飯山線となりました

昭和2年(1927年) 6月15日に越後川口~越後岩沢間を、11月15日に越後岩沢~十日町間を開業しました。

飯山鉄道は大正10年(1921年)10月20日に豊野~飯山間を開業した後延伸を続け、昭和4年(1929年)9月1日 に全区間を開通させました。これにより十日町線と合わせて現在の飯山線の区間が全通しました。
現在(2014年11月)の越後岩沢駅の様子はこちらでどうぞ→越後岩沢駅


 


上越鉄道の計画 <小千谷市史 下巻>
前橋-沼田-長岡-亀田-沼垂(新発田)間の鉄道敷設を計画した上越鉄道株式会社(資本金700万円)が設立されたが、事業は挫折してしまった。

  上越鉄道の計画 小千谷市史 下巻 P497

 上越鉄道の建設企図はきわめて早かった。明治14年以降日本鉄道株式会社が上野-前橋間の鉄道を計画したが、これと連絡する目的で、刈羽郡横沢村の山口権三郎、南魚沼郡石打村の岡村貢らによる数種の建設計画が生まれた。岡村などはすこぶる熱心で、技師を招いて実地踏査をおこなっている。

 明治25年鉄道敷設法が第3回帝国議会で可決されたのは、わが国鉄道史上画期的なことであるが、その第1期予定線の中に、ほぼ後の上越・飯山・信越線のいずれかを経由して新潟および新発田に至る鉄道が指定された。しかし、これは結局27年6月直江津経由案に決定したので、岡村らは私鉄として経営しようとして、29年6月上越鉄道株式会社(資本金700万円)を創立し、前橋-沼田-長岡-亀田-沼垂(新発田)間の敷設計画に対する仮免許を第4回帝国会議で与えられた。

 このとき小千谷町の西脇家らもこの事業に参加しているが、実地踏査の結果はきわめて困難と見られた。そのうえ上越線全通当時の西脇新次郎(先代)の回顧談(『小千谷タイムス』)に、「岡村氏を取巻く不良性の手合が跋扈していて、此者共の為に事業は旨くいかない、そこで不良性の徒を、岡村氏から駆除して仕舞ふ為に、吾々は(中略)前橋と提携して一団となり、不良性退治に熱中したものである」とあるように、利権屋的分子をめぐる内紛があり、株主総会で西脇のいわゆる「正義側」が「不良側」に敗北したために、前者は解散を企てるにいたった。
 一方北越鉄道の開通もあって、明治32年会社は解散し、事業は挫折してしまった。

十日町支線 <小千谷市史 下巻>

上越線の支線として計画された十日町線は、昭和2年(1927年) 6月15日に越後川口~越後岩沢間を開業、内ケ巻・越後岩沢の各駅を新設しました。
11月15日には越後岩沢~十日町間を延伸開業し、下条・魚沼中条・十日町の各駅を新設しました。

  上越線と十日町支線

 本土最短距離横断路線は陸軍の重視するところでもあったので、明治42年3月、第25回帝国議会に衆議院議員日向輝武ほか1名提出の建議案が採択されたが、なかなか具体化にいたらなかった。そこで大正元年11月11日、北魚沼郡役所に3魚沼の有志21名が会合して上越鉄道期成会を結成し(会長酒井文吉)、強くその筋へ請願することとなった。期成会は連年運動を継続し、5年6月には中・南魚経由の2路線の実地踏査をおこなっている。

 大正7年1月18日、鉄道会議が待望の敷設計画を決定した。第40議会も鉄道敷設法改正法律案および予算案を通過させ、7月3日法律第12号鉄道敷設法中に高崎-長岡間の鉄道を追加し、これを第1期予定線に編入し、大正7年から14年にいたる8ヵ年継続事業として予算総額1,608万円で実施することとなった(その後経済変動によって3,663万円、昭和5年完成予定に変更)。
 しかしこの間に中・南魚沼両郡の路線競争は激しさを加え、それぞれ別個に期成会をつくり、地元を地盤とする代議士らを動かして猛運動に狂奔した。鉄道院はどちらの路線を採用するにせよ他の路線に支線を敷設することによって事態を収拾することとし、7年末ころには南魚沼郡通過方針をほぼ固めた。したがって十日町支線起工(工費予定300万円)の噂も伝えられている。はたして第41議会に軽便鉄道の敷設が決定した。

 こうして上越線は、長岡-茂倉岳間を上越北線として大正7年12月宮内から着工し、宮内-東小千谷(現小千谷駅)間14Km余は大正9年11月1日開業し、東小千谷-越後川口間は翌10年8月開業した(湯沢までは大正14年11月)。
 また十日町支線は9年4月越後川ロ-岩沢間の実測が開始され、11年10月第2工区(川井-岩沢)着工、昭和2年6月15日川口-岩沢間、11月15日岩沢-十日町間が開通した。
 鉄道は沿線の経済・文化に大きな刺激を与えた。大正7年春早くも薭生村の駅予定地付近の地価高騰が伝えられたが、開通にともない駅前には急速に人家が建てられ、たちまち市街地の様相を見せはじめた。清水トンネルが貫通して、上越線が全通したのは昭和6年9月1日である。

内ヶ巻駅 <写真集 ふるさとの100年>

いつの時点の写真か不明ですが、お祝いの雰囲気からして岩沢駅開業時の様子かもしれませんね。

越後岩沢駅駅 <写真集 ふるさとの100年>
上の写真とは反対側(山側)からの構図ですね。

2014年現在の越後岩沢駅駅です。
駅舎は開業当時の建物が使われています。
他の画像はこちらでどうぞ→越後岩沢駅

越後岩沢駅 <小千谷市史 下巻>

上の画像とほぼ同じ方向から写した2014年現在の越後岩沢駅です。
他の画像はこちらでどうぞ→越後岩沢駅

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