【 払田柵 】

払田柵(ほったのさく)は、秋田県の横手盆地北部の、大仙市払田と美郷町本堂城回に所属する古代城柵遺跡です。
この地に9世紀初頭に創建され、10世紀後半まで存続しました。
払田柵跡は多賀城・秋田城跡と並び称される古代城柵遺跡としての規模と威容を誇りますが、当時どのような名称で呼ばれていたのか明らかではなく、謎の遺跡でもあります。
<ガイダンス施設の案内文などから>

ここでは、政庁跡・政庁東方地区建物群・外郭東門跡をご案内しています。
その後、外郭西門跡・外柵が道路の下に眠っている場所もご案内しています。

(2011年10月8日訪問)
 
15:29頃、南東側から写した、政庁南門跡です。
上の画像の右側です。
このように政庁南門から、
板塀が続いていたことが表されています。
したがって、正殿は、外柵の塀・外郭の塀と、この板塀とで、三重に囲まれていたようです。
政庁南門跡から写した、正殿跡です。
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。
東方向です。
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。
復元外柵南門方向です。
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。
上の画像4枚のところ、ぐるっと映しました。
政庁南門跡から写した、西脇殿跡です。
政庁南門跡から写した、東脇殿跡です。
西脇殿跡です。
南東方向から写した、正殿跡です。
政庁西門跡です。
正殿後方西建物跡です。
政庁北門跡です。
正殿後方東建物跡です。
政庁東門跡です。
東脇殿跡です。
政庁東方地区建物群の案内板です。
ズームです。
上の画像の右下部分です。
15:34頃、この建物は、上の画像で「土の舗装で範囲を表示」となっている、1082建物跡と1077建物跡に、復元された建物のように思います。
この画像右側(建物の右側)の「土の舗装」部分は、1071建物跡のように思います。
上の画像の右側です。
「土の舗装」部分は982建物跡、板塀の向こうの復元建物が941建物跡だと思います。
別角度(北東側)から、2つ上の画像の建物方向です。
上の画像を写した付近から、北東方向です。
この向こうに「外郭東門跡」がありますので、行ってみます。
丘の上から見た外郭東門跡です。
15:38頃、郭内から写した、外郭東門跡です。
郭内から写した、別角度です。
15:59頃、場所を移動して、郭外から見た、外郭西門跡です。
外郭西門跡、別角度です。
外郭西門跡、別角度です。
外郭西門跡、別角度です。
上の画像の左部分に写っている、、材木塀部分です。
17:11頃、場所を移動して、郭外から写した、外郭東門跡です。
正面から、外郭東門跡です。
外郭東門跡に接している、材木塀です。
場所を移動しました。
17:20頃、道路上に青い点線で、道路を横切る外柵跡を示してあります。
この画像中央に写っていますが、画像奥方向、道路上の青い点線の先が、復元された外柵南門です。
ここからズームで写したのが次の画像です。
ズームで写した、復元された外柵南門です。
外柵南門の画像は、払田柵跡(ほったのさくあと)でどうぞ。
2つ上の画像を写した所で振り返ると、この景色です。
復元外柵南門を背にして写しています。
ここからさらに、西に向かって外柵が続いている様子が再現されています。
上の画像の外柵列の反対側から写しました。東方向を向いて写しています。
つまり、復元外柵南門がある方向を向いて写しています。
上の画像を写した所から少し西側に移動して、上に写っている外柵列を写しました。
上の画像は、この画像の中央付近に写っている、小さなコンクリート柱付近から、向こう方向を写しています。
上の画像を写した付近で、振り返って北西方向です。
この画像に写っている外柵列の向こう側で写したのが次の画像です。
この外柵列の向こうに、下の画像に写っている「この道路の下に払田の柵が眠っています。」と記された柱が確認できます。
ここでも道路を横断します。
というよりも、外柵跡の上に道路を作ったんですよね。

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