【 旧余市福原漁場 】

旧余市福原漁場(きゅうよいちふくはらぎょば)は、幕末から余市町浜中町に定住しニシン漁を行っていた福原家が所有していた建物群を保存した施設で、国の史跡に指定されています。


(2013年8月23日訪問)
 
14:43頃、受付で見学料を支払って、施設に向かいます。
旧余市福原漁場配置図
現地にあった案内板の絵図です。
現地にあった案内板の解説です。
主屋です。
主屋入口です。
入口の戸をあけると土間になっています。
土間の左側が漁夫溜まりで、右側が親方家族の部屋です。
鰊御殿とまり」の「旧川村家番屋」も似た造りになっていました。
漁夫溜まりです。
親方家族の部屋です。
客間です。
座敷です。
親方家族の風呂です。
「漁夫は銭湯を利用、それ以外は鰊釜を洗って「ごえもん風呂」式に入浴したという。」という案内文がありました。
土倉(文書倉)です。
土倉(文書倉)正面です。
親方の貴重な品々を保管する倉で、明治10年の建築、地下1階地上3階建てで、外壁は漆喰だがそれを保護するために取り外し式の板をあててある。<案内板の解説>
土倉(文書倉)内部、1階です。
石倉(復元)は身欠き鰊、干し数の子、鰊粕などの製品を収納していた建物です。
石倉(復元)の内部には資料が展示されています。
人力式の、船の巻き上げ機です。
便所です。
写っている看板から左側4枚戸部分が漁夫用、右の2枚戸部分が親方家族用です。
漁夫用の便所です。
親方家族用の便所です。
物置です。
納屋場は、身欠き鰊を作る干場です。
土台を復元した、雑倉の跡です。
上2枚の画像付近から主屋方向を写しました。
米・味噌倉です。

平面積40坪の建物で、推定明治13年の建築です。
大切な食料を守るために火を使う主屋から離して建ててあり、ネズミ対策などがなされています。
<案内板から>
米・味噌倉の前から、納屋場方向です。
漁具を保管する、網倉です。
網倉の内部です。
土倉(文書倉)の背面側にトロッコ用の軌道が復元されています。
係の人に伺ったら、敷地内で鰊や荷物の移動に使ったものだそうです。
画像右上に写っているのは土倉(文書倉)の背面です。

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