京都市左京区にある下鴨神社(しもがもじんじゃ)の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」で、式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社だそうです。 (2010年11月21日訪問) |
13:14頃、市バスの「下鴨神社前」から、神社に向かって歩いています。 |
西側の入口です。 |
西側の鳥居です。 |
13:21頃、場所を移動して、楼門の前の鳥居(二の鳥居だと思います。)から、楼門方向です。 |
上の画像を写した場所で振り返って、参道方向です。 |
上の画像の橋の所、「奈良の小川」の御手洗です。 |
楼門です。 |
楼門は重要文化財です。 高さ30mで、東西の回廊とも古代様式を伝えています。 21年ごとの式年遷宮のたびに造替されてきましたが、寛永度以降は解体修理をして保存されています。 <案内板から> |
舞殿(まいどの)は重要文化財です。 楼門を入るとすぐ前にある建物で、賀茂祭(葵祭)のとき勅使が御祭文を奏上し、東游(あずまあそび)が奉納されます。 入母屋造、桧皮葺、桁行四間、梁間三間です。東游(あずまあそび)とは、舞楽のことです。 <案内板から> |
神服殿(しんぷくでん)は重要文化財です。 夏冬の御神服を奉製(ほうせい)する御殿であったため、その名があります。 近世は勅使殿又は着到殿となり、古来殿内の一室が行幸のときは、玉座となりました。 古くは御所が災害にあった時は、臨時の御座所と定められていました。 入母屋造、桧皮葺、桁行五間、梁間四間です。 <案内板から> |
中門です。 この門をくぐると、えと(十二支)の社があります。 |
中門を入ったところの案内板、えと(十二支)の社の配置図です。 |
左から、辰(たつ)・申(さる)歳生守護神「八千矛神(やちほこのかみ)」、寅(とら)・戌(いぬ)歳生守護神「大己貴大神(おおなむちのかみ)」、卯(う)・酉(とり)歳生守護神「志固男神(しこおのかみ)」の社です。 |
午(うま)歳生守護神「顕国魂神(うつしくにたまのかみ)」の社です。 |
拝殿ですが、ここからは本殿(東本殿・西本殿)は見えません。 |
左は丑(うし)・亥(い)歳生守護神「大物主神(おおものぬしのかみ)、右は子(ね)歳生守護神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の社です。 |
巳(み)・未(ひつじ)歳生守護神「大国魂神(おおくにたまのかみ)」の社です。 |
中門を通して、舞殿・楼門方向です。 |
上賀茂神社もそうでしたが、この下鴨神社も結婚式に力を入れているようで2組の婚礼集団を見ました。 |
橋殿(はしどの)は重要文化財です。 御蔭祭(みかげまつり)のとき御神宝を奉安する御殿です。 古くは御戸代会神事(みとしろえしんじ)、奏楽、里神楽、倭舞(やまとまい)が行われていました。 現在は名月管絃祭、正月神事等年中祭事のときに神事芸能が奉納される社殿です。 入母屋造、桧皮葺、桁行四間、梁間三間です。 <案内板から> |
橋殿の下には奈良の小川が通っています。 |
細殿(ほそどの)は重要文化財です。 |
上の画像に写っている、細殿(ほそどの)の案内板です。 |
現在は、結婚式の待合室になっているようです。 |
解除所(げじょしょ)です。 |
上の画像に写っている解除所の案内板です。 |
画像中央は東本殿の屋根です。 |
別角度、左が中門、真ん中が舞殿、右が橋殿(その奥に細殿)です。 |