【 多賀城碑 】

多賀城の外郭南門跡近くにある多賀城碑です。

多賀城碑は、群馬県の多胡碑(たごのひ)、栃木県の那須国造碑(なすのくにのみやっこのひ)とともに日本三古碑のひとつに数えられています。
またこの碑は「壺碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれており、発見当初(江戸時代初め)から歌枕の「壺碑」と結びついて広く世に知られていました。
江戸時代には、松尾芭蕉が旅の途中にこの碑を訪れ、「奥の細道」には深い感動をもってこの人対面した様子が記されています。
平成10年6月30日には国の重要文化財(古文書)に指定されました。
(ボランティア観光ガイドさんにいただいた資料から)


2008年6月14日訪問

外郭南門跡付近から政庁跡へ上る階段方向。
多賀城碑の覆堂。
多賀城碑(国指定重要文化財)

碑文には、「京・蝦夷国・常陸国・下野国・靺鞨国(まつかつのくに:中国東北部)から多賀城までの距離。」と「神亀元年(724)に大野東人(おおののあずまびと)によって設置され、藤原朝狩(ふじわらのあさかり)によって修造された。」ことと、碑が建立された日(天平宝字六年十二月一日)が書かれているんだそうです。
多賀城碑の傍らに建つ芭蕉句碑。「あやめ草足に結ん草鞋の緒」
外郭南門跡から多賀城碑方向。
この画像の正面が政庁跡がある方向です。
外郭南門跡。
多賀城政庁の正面約350mに位置する南門と築地塀の跡が発見されました。手前の小石の集まりは礎石(柱の土台石)を安定させるための根固め石で、此処に南門の柱が立っていたことが分かります。
中央に走る土手状の高まりは南築地塀の跡です。築地塀はつくるとき仮に板で枠を設け土を丁寧につき固めて高く築き、屋根を葺いた土塀のことです。その跡が写真のように残っていました。現在は遺構保存のため、元の状態に埋め戻しています。
奈良時代後半の外郭南門推定復元図。
政庁跡と外郭南門の位置関係。
外郭南門跡から更に南側に進んで、外郭南門跡方向を写しました。
上の画像を写したところで振り返って、さらに南側を写しました。

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