【 旧鐙屋(きゅうあぶみや) 】

国指定史跡「旧鐙屋(きゅうあぶみや)」です。
鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、江戸時代を通じて繁栄し日本海海運に大きな役割を果たした姿を今に伝えています。
本姓を池田といいましたが、領主最上義光から鐙屋の屋号を与えられてからは、鐙屋惣左衛門と称するようになりました。
鐙屋の繁盛ぶりは、井原西鶴の「日本永代蔵(にほんえいたいぐら)」巻二の「舟入馬かた鐙屋の庭」に、「酒田の町に、鐙屋といへる大問屋住けるが・・・」と記されています。
現屋敷地は本町通りの居住地側だけで、また、現在の家屋は、弘化2年(1845年)4月のいわゆる甘鯛火事の被災直後に再建されたものと伝えられています。
石置杉皮葺屋根(いしおきすぎかわぶきやね)の典型的な町谷造りで、内部は通り庭(土間)に面して十間余の座敷・板の間が並んでいます。
<パンフレットから>

(2009年6月6日訪問)

県道40号沿いの
酒田市役所の北東側に、旧鐙屋はあります。
大戸口から入りましょう。
大戸口を入ったところで写しました。
画像右側に写っているのが、次の画像の帳場です。
帳場です。
通り庭(土間)に面して配された座敷。
土間も趣があります。
井原西鶴「日本永代蔵」の挿絵に描かれている「鐙屋」。
鐙屋を訪れた客人をもてなす台所の様子が描写されています。
台所です。
別角度で台所です。
茶の間です。
三の間から見る、次の間と上の間方向です。
庭に出て、石置杉皮葺屋根(いしおきすぎかわぶきやね)を写しました。
石置杉皮葺屋根(いしおきすぎかわぶきやね)の解説です。
土蔵です。
土蔵の中は資料館になっています。
土蔵の中にあった石置杉皮葺屋根(いしおきすぎかわぶきやね)の模型です。
台所付近の屋根構造は、下地に茅を敷き、その上に土を載せ、杉皮を葺いて、直径15〜6センチの平たい石を屋根全面に敷き、杉皮を止めています。

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