【 羽黒山神社 随身門・祓川 】

羽黒山を目指して車を走らせていると、大鳥居が見えてきました。
黄金堂に立ち寄ってから随身門に向かいました。ここでは随神門(ずいしんもん)と祓川・神橋・石橋のご案内です。
(2009年6月6日訪問)

7:35頃、羽黒山神社に向かって走っていると、大鳥居が見えてきました。
この後「黄金堂」に寄ってから随神門に向かいます。
8:10頃、随神門に着きました。
随神門です。
随神門から内は出羽三山の神域となります。
神域は月山から湯殿山まで広がり、随神門はこの広い神域の表玄関です。
この門は初め仁王門として元禄年間秋田矢島藩主から寄進されましたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けました。<案内板から>
随神門に向かって右前にある「天拝石」です。
この奇石を通し天を祭ったもので、その昔修験者の行法を行った場所の石と思われます。麓桜小路安藤太美彌宅前にあったものを昭和16年に移転したものです。<案内板から>
随神門に向かって左方向に「末社羽黒山天地金神社」があります。
応永4年学頭法性院尊量により創建されたが兵乱のため大破し、後に羽黒山智憲院宥然により安永8年(1779)再興されました。もとは「元三大師像」を本尊として祀っていたので大師堂と称していましたが、昭和39年、須佐之男命を祀って天地金神社とっています。<案内板から>
柱には龍の彫刻が施されています。
梁のところに、2体の彫刻が・・・、
邪気で、
しょうか・・・。
8:23頃、随神門をくぐると特別天然記念物に指定(昭和30年8月13日指定)されている「羽黒山の杉並木」が始まります。
山麓の随神門から山頂に至る約1.7Kmにわたる杉並木には樹齢300年以上を経た巨杉が並んでいます。
この杉並木は江戸時代初期の羽黒山50代執行別当天宥法印の造跡で、最大のものは直径1.3mあまり、直径1mを超えるものは184本に及び総数は445本です。<案内板から>
石段を下って、
いくつかの社があるところを、
右に曲がりました。赤いものが見えます。
祓川(はらいがわ)にかかる神橋です。
神橋の上から祓川上流方向です。
神橋を渡って左にある「下居社」です。
注連掛桜(しめかけざくら)
昔、出羽三山を参拝する人が祓川で禊をした時、この桜の枝に注連を掛けたといわれることからこの名が付けられました。<案内板から>
祓川に架かる石橋は、趣のある橋です!。
祓川(はらいがわ)と須賀の滝(すがのたき)です。
石橋を渡って正面にあるのは、
岩戸分神社です。
その右隣の社の背後に、須賀の滝(すがのたき)です。
神橋方向です。
石橋の左上に写っているのは「注連掛桜(しめかけざくら)」です。
石橋と神橋。画像右上は9つ上の画像に写っている下居社です。
石橋は
一枚の石でできているそうです。(グループを案内していたガイドさんの説明)
石橋の橋詰めにあった石(上の画像の右側の石)です。

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