上杉神社は米沢城の本丸跡に建っている。 米沢城には戦国時代に伊達氏の本拠地が置かれていて、伊達政宗生誕の城としても知られています。 当日は上杉まつりが開催されており、多くの人出で賑わっていました。 2007年4月29日に訪問しました。 |
伊達政宗生誕地。 |
上杉神社参道にある鳥居。 |
神楽殿。 |
上杉神社拝殿。 参拝者の列が出来ていました。 |
横に回ると、拝殿の奥に本殿が確認できる。 |
春日神社 明治5年に現在地に移ったが大正8年の米沢大火で上杉神社とともに類焼した。 昭和56年に市民の浄財で再建された。 |
招魂碑 慶応4年に始まった戊辰戦争で、主に新潟方面で西軍との激戦の末に戦死した米沢藩士二百八十余名と、明治10年に起こった西南戦争の戦死者52名を慰霊するために明治11年4月に建てられた。(案内板から) |
上杉謙信祠堂(御堂)跡<うえすぎけんしんしどう(みどう)あと> (上の招魂碑のそばにあります。) この場所は米沢城本丸の東南隅にあたり、江戸時代には藩祖上杉謙信の遺骸を安置した御堂があったところ。 謙信は天正6年(1578)3月13日、越後春日山城で逝去、享年49であった。 その遺骸は甲冑を着せ甕に納め、漆で密閉したと言われている。 その後、謙信の跡を継いだ上杉景勝が会津120万石、米沢30万石に移封(いほう)されるに伴い、謙信の遺骸も移され、米沢城南東隅のこの地に御堂を建て安置された。 謙信遺骸の左右には善光寺如来と泥足毘沙門像(どろあしびしゃもんぞう)が置かれ、その後は歴代藩主の位牌も祀り、もっとも神聖な場所として厳重かつ丁重に祀られた。 明治4年の廃藩に際し、仏式を改め神式とし、謙信は上杉神社の祭神として祭られた。 謙信の遺骸は、明治9年に歴代藩主が眠る御廟所に移された。 (案内板から) |
上杉神社の近くにある上杉記念館。 |
平成21年の大河ドラマに決まったこともあってか、やっていましたので・・・。 |
入ってきました^^;)。 |