今や人生100年時代だというのだから、信長もさぞかし驚くに違いない。
人生100年時代にあって「健康寿命を平均寿命まで高める」ことが主張されるし、それにこしたことはない。死ぬ時まで健康で生きられれば一番の幸せだろうが、そうはいかないケースは少なくないと思う。
私の祖母も「コロッと死ねるようにコロリ観音にお願いしているんだ。」と口癖にしていたけれど、痴ほう症になってしまい、周囲を驚かせたり介護をしてもらいながら亡くなりました。その頃の私は県外に出ていたので、介護をしていた母親や妹の苦労も知らずにいました。30年ほど前のことですから今のように公的介護体制も無く、大変な思いをしたのでした。
このところ介護施設を訪れる機会が多いのです。
自宅ではなく施設なのですから、要介護の程度が高い方が暮らしていらっしゃいます。
普段はベッドでも、車椅子でテーブルに集まって皆で食事をする方もいらっしゃいますが、そうでない方も・・・。
つまり、ベッドに寝たきりになって経管栄養を利用し、どの程度の見当識があるのか分かりませんが、口を開けたままほとんど動かない方もいらっしゃいます。
ご本人がどのようなお気持ちで過ごしているのかは分かりません。
視力がある方は見える範囲のものを見て、聴力がある方は周囲の音を聴いて、それらが無くても昔の思い出を懐かしみながら幸せに過ごしているのかもしれません。
でももしかしたら、もうこれ以上生きなくても良いと思いながら横になっているのかもしれません。
平成30年1月21日、評論家の西部邁さんが自殺なさいました。
「西部邁ゼミナール」や「チャンネル桜」などを視聴していましたが、数年前から「日本が没落する前に、にっこり笑って自分が没落・・・。」といった表現をしていたり、チャンネル桜での水島社長との対談(【平成29年 年末特別対談】西部邁氏に聞く[桜H29/12/29] )では水島社長が自殺を思いとどまるように説得していました。
今の日本に幻滅したのか、病気が悪化したのか・・・、本当のところは分かりませんが、お話を伺っていれば、チューブに繋がれて自らの最後を自ら決することができない状況は不本意だというお気持ちが強かったのは分かります。
私も西部邁さんの考え方に賛同します。
そこそこの年齢になって寝たきりになり、意志を伝えることも出来なくなって、それでも栄養補給してもらい下の世話をしてもらって生かしてもらう、しかも介護保険や税金を投入してもらって・・・。祖母がコロリを望んだように、そういう状況は避けたい。
かといって、まだ生きる・自殺する元気がある段階で西部さんのように自殺する勇気はない。
しかし、明日にでも失見当識の状態になるかもしれない・・・。
どうすれば良いのでしょうか?。
健康寿命を平均寿命に近づけるという主張は正論であり称賛されるけれど、健康寿命が尽きた時に寿命をそこに持ってくるのはポリティカルコレクトネス的にも非難されるのでしょうね。
しかし、本音で語ればそうばかりも言っていられないと思います。
自殺は良くないと決めつけるのではなく、苦しまずに死ねる選択肢も認めてもらいたい。
例えば「もはやこれまで」と納得した時、入水・首つり・飛び降りなどで死ななくて済むように、服用すれば安楽に死ねる薬などを支給する。
さらに、その機会を逃して意思表示が出来ない状況になった時には、チューブに繋がれて生き延びるのではなく安楽死させてもらえるように事前に申し出ておく制度を設ける。
そういう制度をつくってもらいたい。
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