鯨が大好きな人達がいるようだ。
お気づきだろうか・・・、どういうふうに「好き」なのかは、2つの意味がある。
つまり「生きている鯨が好き」な人と「食物としての鯨が好き」な人だ。
先日、スーパーで鯨の脂身のところを売っていた。
「しおくじら」という品名であったが、3〜4センチの脂身に黒い皮が貼りついているやつである。
価格を見て驚いた。100gあたり1080円なのだ!。
「なんてこったい、これを買っていく人がいるのかい?。恐ろしいほど鯨好きな人がいるんだなぁ。」と半ば呆れてしまった。
(買った人には・・・、「ごめんなさいm(_ _)m」
お若い方には馴染みが無いものだと思うが、昔は、鯨は日本人にとって一般的な食料であった。
私が小学生の頃は学校の給食に「鯨肉のタツタ揚げ」などが出たものだったし、
先日スーパーで見た「しおくじら」と同じようなものが家の味噌汁に入っていることもあった。シジミ汁と同じような感覚で「鯨汁」だったのだろうか。
タツタ揚げは赤身のところを使ったものなので美味しく食べたが、脂身が入った鯨汁は嫌いな食べ物だった。
ところが、今は以前のような状況ではない。鯨は尊いものになってしまったのだ。
その原因は二つある。
ご存知の方がおありだと思うが、学研の「科学」という教育雑誌(今は無いのかな?)があった。
私はそれを買ってもらっていたが、そういった雑誌などには
「鯨は全ての部分が有効利用されて捨てるところが無い。蝋燭の蝋や歯ブラシにまで加工し利用されている。」
というような内容の記事があったように思う。
そういった鯨だから、どんどん捕ってしまったんだね。それで資源の枯渇が心配されてきた。
これは日本を始めとする捕鯨国が反省しなければならない。
合わせて、もう一方の鯨好きの人達(生きている鯨が好きな人達)が大きな声をあげてきた。
良くわからないが、「鯨は哺乳類だから友達だ」という感覚なのだろうか?。でも、さんざん牛などを食ってきた人達だから、そういった感覚ならおかしいと思うのだが・・・。
どっちにしても、異文化を肯定できない人達の趣味に思えてくる。
さて、そんな中で、「商業捕鯨が禁止され、調査捕鯨と称した捕鯨が行われ、そこで捕らえた鯨がスーパーに並んでいる」という分けのわからないことになっている。
調査捕鯨って何なんだろう?。きっと、その字面からは想像できないくらい沢山の鯨を取っているんだろうなぁ。そうまでして鯨を食いたいのだろうか?。
ここで、Aべは提案したい。
日本人はもう鯨を食べなくてもいいんじゃないのかな?。食べるのをやめようよ!
鯨を食べた経験のある昔の人達がいなくなれば、日本でも鯨は必要では無くなるわけだから・・・。
この際、鯨を捨てて「唯我独尊」の彼らに文化論争を挑んでみてはどうだろうか?。今が潮時だと思うよ。
つまり、そういった物があるかどうかわからないが、彼らが昔から好きな物で日本では食べる習慣が無いものを見つけて、「それを食べるのは可愛そうだ。鯨を諦めた日本を見習え」と言うのである。
そのようにして、文明に突っ走る彼らに文化(と文明の違い)を教えてあげよう。
別の言い方をすれば、(文化的な)征服を繰り返してきた彼らに「彼ら以外の文化の存在」を認めさせよう。
そして、そんなことは無いと思うが「日本の皆さん、どうぞ鯨を食べてください。」といわれたら食べよう。
そのためにも、今、日本人は「鯨(肉)好き」をやめよう。
どうかな?。