長野県では小諸市と長野市、東京は国分寺市と北区、群馬県の高崎市、前橋市、伊勢崎市・・・。 仕事で通勤した先は更埴市、我孫子市、熊谷市、どこも良い所でした、そして懐かしい!
つくば万博があったとき、我孫子駅で乗り継ぎのお客様へのご案内やチケットの販売などをしたことがありました。
ある日、コンコースの案内所にいらっしゃった老夫婦と少し会話した後、「お客様は新潟県から、
しかも十日町市からいらっしゃいましたか?」とお聞きしたことがありましたが、答えは「YES」でした。
(『YES』ってことは外国の人だったのか、というのはお決まりのシャレですね^^;)
ところが数年前地元に帰ってみると、地元の言葉がどうも馴染まない。それが所々に混じるのならまだよいのだが・・・・。
語句だけでなくイントネーションやしゃべり方のほうがむしろ気になる。
県外で聞いた故郷の言葉は懐かしかったのに、地元に帰って聞いたそれは心地よくなかった。
地元の言葉に関することから話しを展開しましたが、次に考察するのは「なぜ、『遠くにあるから思う』のか」、
またそういったことは「なぜ『身勝手・わがまま』といわれる可能性がある(が、しかし、ホントはそんなことは無い)のか」ということでしょう。あなたの考えはいかがですか?。
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