【 地元の言葉 】


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 私は、19の時から17年間くらいは県外で過ごしまして、結構いろんなところで暮らしました。
長野県では小諸市と長野市、東京は国分寺市と北区、群馬県の高崎市、前橋市、伊勢崎市・・・。  仕事で通勤した先は更埴市、我孫子市、熊谷市、どこも良い所でした、そして懐かしい!

 つくば万博があったとき、我孫子駅で乗り継ぎのお客様へのご案内やチケットの販売などをしたことがありました。
 当時我孫子駅をご利用になった方にはお会いしているかも知れませんね。駅のコンコースで、 「万博の入場券、バスのチケット、いかがですか!」と、ハンドマイクで売り声を上げていたのは私たちでした。 お騒がせしました。

 ある日、コンコースの案内所にいらっしゃった老夫婦と少し会話した後、「お客様は新潟県から、 しかも十日町市からいらっしゃいましたか?」とお聞きしたことがありましたが、答えは「YES」でした。 (『YES』ってことは外国の人だったのか、というのはお決まりのシャレですね^^;)
 十日町市は今住んでいる小千谷市の隣なのですが、十日町市には友人もいたし、なんとなく懐かしい響きでした。

 ところが数年前地元に帰ってみると、地元の言葉がどうも馴染まない。それが所々に混じるのならまだよいのだが・・・・。 語句だけでなくイントネーションやしゃべり方のほうがむしろ気になる。
 新潟県に限らず、「地元のしゃべり方を使ったコマーシャル」や「地元のしゃべり方をウリにしているアナウンサー」がある。 県外のことならまだいいのだが、どうも新潟弁のそれを好きになれない。

 県外で聞いた故郷の言葉は懐かしかったのに、地元に帰って聞いたそれは心地よくなかった。
 これは何なんだろう。「それは、単なるあなたの『身勝手・わがまま』というもんだよ。」というのも答えだろうが・・・・。 だけどそれだけなのか、私だけのことなのか?。
 というのは、「故郷は遠きにありて思うもの」という言い方がありますが、そういう言い方があるってことは、 「故郷は遠くになければ、懐かしく思い出すことは無い」ことと「それを『身勝手・わがまま』というにしても、 そういったことは私だけではない」ことが導き出せそうです。

 地元の言葉に関することから話しを展開しましたが、次に考察するのは「なぜ、『遠くにあるから思う』のか」、 またそういったことは「なぜ『身勝手・わがまま』といわれる可能性がある(が、しかし、ホントはそんなことは無い)のか」ということでしょう。あなたの考えはいかがですか?。

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