【 目 標 】


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 先日あるお菓子やさんをお尋ねし、いろいろなお話を伺った。
お菓子の売れ行きや景気の話、スポンジの焼き方や生クリームの使い方の話などなど・・・・。
その中に「ご主人の娘さんが大学受験にチャレンジしている」という話があった。

 娘さんは今年(2002年)3月まで商業高校に通っていて、同年目指す大学を受験したものの失敗したのだという。
 お父さんに言わせれば「商業高校に通っていたし、1・2年の時はろくに勉強もしていなかった。3年になって猛勉強をしたのだが、間に合わなかった。」とのことで、合格に期待をしつつも無理かなぁと思っていたらしい。
 その結果を受けて就職も勧めたのだが「1年間頑張ってみたい」という娘さんの希望を受け入れる事としたそうである。ただし、それには条件があり、食費などは親が負担するものの、受験勉強の費用や受験の費用は本人がバイトをしてまかなうと言うものである。

 娘さんは、高校在学中に目標を見つけてそのための大学進学を決め、今年は失敗したけどあと1年その大学を目指して頑張るのである。思えば、恥ずかしながら自分自身が高校生の時って目標などなかったように思うし、その大切さなど実感できていなかった。

 その後はもちろん、目標とすることに向かって頑張ったこともあるし、「目標があるのはすばらしいことである。」と思っている。
 そして、現在、その素晴らしさはわかっていても「これが私の目標です」といえるようなものがあるのかどうかを考えると疑問である。

 なにかを目指そうというとき、年齢制限付きのものもあるし若い頃と同じようなわけにはいかない。こういう言い方自体すでに弁解になっているという指摘は甘受するが、現実はそうである。

 NHKのおじゃる丸の主題歌「詩人」の歌いだしは「夢を描いて高い空見れば届く気がして余計に悲しくて・・・」である。この歌詞に私は頷くのだが、以前ある方にそんな話をしたら「私は、届く気がして嬉しい」とおっしゃっていた。羨ましいほど前向きの方であると感心したものである。
 その方のようなポジティブさを持たない私は、やはり現実を見てしまう。しかし、後ろ向きということではないつもりである。
 今回お菓子屋さんの娘さんの話を聞いて、改めて目標の大切さ・素晴らしさを認識し「俺もがんばらなくっちゃ」と思ったのであった。
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