お葬式を執り行なうことは大変だと思う。 葬儀屋や寺などとの打ち合わせ、告別式などに来ていただく方の選定と連絡、納棺、お通夜、告別式、火葬・お骨ひろい、お斎、納骨・・・。 今は葬儀屋さんを利用するケースも多く、昔のように家でやるのに比べれば、準備も少なくなったんだろうけど、それにしても大変だ。 ところで、お葬式って誰のためにするんだろう?。 一番の目的は故人の冥福を祈りご遺族を弔うことだと思うが、ご遺族の心の衝撃を一時的に受け止める「ショックアブソーバー」のような作用もしているように思う。 お葬式を執り行なうご遺族は、準備から始まって、一連のことを次々とやっていかなければならないから、数日間は「悲しんでいる暇がない」状態に置かれる。 また、お葬式に集まってくれた親戚や知人に会い、励まされ・元気付けられる。 もしもそういったことが無く、故人の死と向き合ったとしたら・・・・。 さらに、集まった人たちも、元気で再開したことを喜び合い、故人の懐かしい話をする。 また、やがて自分にも巡ってくる日のことを考えたりする。 「自分のときにも、この人たちが来てくれるのかなぁ・・・」などと・・・。 こんな風に考えると、生きている者が故人を弔うだけではなく、むしろ故人が生きているものに何かを与えてくれているように思える。 そう、お葬式は『故人が最後に行なった布施(無財の七施の「捨身施」)』なんだね。 無財の七施(むざいのななせ):財産がなくても、誰もがいつでも容易にできる布施の行のこと。 捨身施(しゃしんぜ):無財の七施の一つで、(兎の説話にあるように)自分の身体をもって施すこと。 |