県外で聞いた故郷の言葉は懐かしかったのに、地元に帰って聞いたそれは心地よくなかった。
こう思う原因は何なんだろう?。
例えばこんなこと・・・。ラーメン屋さんで味噌ラーメンを頼んで、ふと隣を見たとき塩
ラーメンを食べているお客さんがいた。「塩ラーメンにすればよかったかなぁ」なんて・・・・。
県外で暮らすにしろ地元で暮らすにしろ、どこかで暮らすということも同じで、ある場所で暮らすことは他で暮らすことの
可能性の放棄になる。
時として歌の歌詞のように「知らない町を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい」と思うし、
「夢は今も巡りて、わすれがたき故郷」を懐かしむ。
ここで、「仕事は東京で週末は田舎暮らしをすればいいじゃないか」という意見をお述べの方は、
良い発想なのだが、ここでの議論にはふさわしくない。ここではひとつを選ぶことによって他を選択できな
くなる場合の話をしている。
「人は後悔する必然の中にいる」という命題があったとして、真だと思いますか偽だと思いますか?。
それに対して「それは隣の芝生は青く見えるってやつよ・・・。そんなことは当たり前のことだし、
自分の意思で選択したことを後悔したり、
それ以外の可能性に後ろ髪を引かれるのは
『身勝手でありわがまま』なんじゃないの?。」という意見もあるだろう。
ところで、「人は後悔する必然の中にいる」と言う時、その中から(「後悔する必然」であるがゆえに)「肯定する根拠」
も同時に導き出せると思う。
「なぜ、『遠くにあるから思う(のに、戻ってみると思わない)』のか」という根拠を「後悔する必然」に求めた。
ところで、「故郷は遠きにありて思う」ときの思いと「知らない町を歩いてみたい」という思いを比べるとき、
両者には違いがある。
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