【 時雨が意味するもの 】


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 私の仕事の話しで恐縮ですが、今日私は、配送の人が風邪で急に休んだので配達に行きました。
配送も、良い天気の日なら快適なのですが、雨・風だったりすると辛いものがありますよね。

 特にこの時期、新潟県では外での活動は時雨にいじめられます。
 自分がぬれるのはまだ良い(帽子などをかぶれば良いわけで)のですが、製品がぬれるのは心苦しいですね。

 そこで、和歌を日常のたしなみにしていた、(私も紹介しましたが)やんごとなき「おじゃる丸」の向こうをはって・・・ おじゃる丸風に歌をひとつ。

 「時雨にも 人の心が 解るなら せめて刹那を 麻呂にあたえよ」

 解説その1:今日のAべの仕事に関連付けた表面的なところでは「せめて荷物の積み下ろしの時には雨が上がってくれるとありがたいなぁ」 ということを詠んだものと思われそうだが、その奥にあるものは・・・・開設その2へ。

 解説その2:時雨はやがてやってくる冬(死)へのプロローグであろう。そのことはやんごとなき麻呂にも解っておじゃる。 急かされんでも冬を迎える覚悟はできておるし、逝く覚悟はせねばと思っておる。だから、せめてふっと一息つく刹那の間でよいから 麻呂に与えて欲しいと願っておるのじゃ。

 そんなに急かせないでたも・・・。

   <<<失礼しました!。>>>

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