【 死刑廃止論について 】


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 私は「死刑廃止論」には賛成できない。「死刑存続論」を支持する一人である。
 ところで、前もって断っておくが、私はどの宗教も信仰していない。

   <<<冤罪の可能性があるという主張>>>
 「冤罪の存在」を根拠に死刑廃止論を展開する人がある。 すなわち、人間の判断(裁判)には誤りが伴う可能性がある、それゆえに取り返しのつかない極刑である死刑は 廃止するべきであるというのである。
 しかし、その主張は問題をすり替えている。
 私も冤罪が存在する可能性が全くないとは言わない。実際に、再審によって無実を勝ち取るケースもあった。
そういった事実を目の当たりにすると「冤罪があるから死刑は廃止した方がいいのかなぁ」などと思ってしまうのも無理からぬ事だ。 しかしそういったこと(冤罪)は「思い込み」や「科学的捜査の未熟」などによって起こるのではないだろうか?。
 現在再審が問題になっているものはどうなんだろう?。確信はないが、例えば血液鑑定がAB鑑定の時代のものなので はないのだろうか?。
DNA鑑定などが可能になった現代では、「疑わしきは罰せず」を貫徹し、世論もそのことに 注目することによって冤罪は回避できるのではないか?。
言うまでもなく「冤罪の存在」と「死刑の廃止」は別問題なのだ。

   <<<人道上許されないという意見>>>
 「人が人を裁くこと自体、人道上許されない」という主張がある。想像だが、そのような意見をお持ちの方は宗教に 関心がおありなのではないかと思っている。
 「人道」すなわち「人間である以上誰でも守るべき道」の根本は、他人の重さと自分の重さ(体重じゃないよ)が 同じであることを認識することだ。従って、それを理解できず守れずに他人を殺害するような人間に人道上の保護はない。

   <<<教育罰としての効果がないという主張>>>
 「犯人を死刑にしても、同様な犯罪の発生を抑止する作用はない。」というのだが、言うまでもなく、犯人に対して「何をやっても死刑にはならない」 という保証を与えるのは教育の放棄である。
 さらに言わせてもらえれば、殺された人の無念さを思う時、「教育罰の効果の議論」は不要であると考える。つまり「死刑は応報罰なのだ」ということでも良いのではないか。

   <<<「犯罪者にも人権がある」という主張>>>
 言うまでもないけど・・・、「その犯罪者に踏みにじられた被害者の人権はどうしてくれるんだ!」


 あなたも含めて多くの人が目撃する中で殺人があった。しかも、無抵抗の被害者が怯え悲しむ姿にせせら笑いながら 「おまえを殺しても俺は死刑にはならないんだよ」と言ってその人をメッタ刺しにした。
 悔しい思いをしながら、苦しみながら亡くなったのはあなたの愛する人だった。
 あなたはこんな状況でも死刑廃止論を唱え、犯人が死刑にならなかったことを良しとすることができますか?。

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