小千谷や十日町のそばは、つなぎに「フノリ」を使っているといわれているものが多い。
フノリとは「浅い海の岩にくっついて生える海藻」のことである。
「フノリを使っている」といっても、そばとフノリだけなのか、小麦粉や他のものも
入っているのかといった詳しい配合までは知らない。それは各店のマル秘だろう。
小千谷のそばについて、もう一つ。
小千谷では「へぎそば」という言いかたがあるが、これは「茶が入ったそば」を「茶そば」と呼ぶような言い方とは意味が違っている。
「へぎ」とは容器のことであり、そのへぎに入れたそばを「へぎそば」という。
それから、「てぶりそば」という言い方もある。
「手振り」とは「てつき」とか「(文語で)慣わし・風俗」という意味らしいけど、
小千谷で言う「てぶりそば」とは、
「そばを少量水の中でつまんで振って整え、ひとかたまりにした状態のそば」のことらしい。「水の中で振る」から「てぶり」なのだろう。
つまり、「へぎの上にてぶりで丸めたそばがのっている」のが小千谷風ということになる。
そんなわけで、小千谷で「へぎそば」を注文する(「へぎそば」をやっていないお店もあるが)と、
「(てぶりで、2口で食べられる程度の量にまとめられた)そばが、へぎの上に並べられた状態」で出てくる。
付け加えると、「へぎそば」は数人前が一つの「へぎ」に乗っかっている。
例えば3人前の「へぎそば」を注文すると、「てぶり」をして並べられた
3人分のそばが一つの「へぎ」の上に乗った状態で出てくる。
それを3人で食べることになるのだが、私はこのやり方が好きではない。
その理由は、「各人の食べる速さが異なること」と、その結果「余計な配慮が生じてくること」である。
私は「蕎麦がのびる前に食べたい」と思うから、蕎麦を食べるのが早い。一方で、ゆっくり食べたいと思う人もいる。
ざる蕎麦などでは一人前の量が決まっているから「それを食べれば私の分は終わり、他の人の分は他の人のざるの上にのっている」
ことが、3人の間で了解されている。
ところが「へぎそば」形式だと、それらが混沌としてしまい、その結果「(余計な)気遣い」と「最後の一つ」が生じてしまう。
日本人なら(今時はそうじゃないのかもしれないけど)わかるでしょ。みんなで遠慮し合って、
譲り合って、最後に一つだけ残ってしまうやつ・・・。
その「気遣いと遠慮・譲り合いが日本人らしさなのだ」という意見もあろうが・・・。
しかし、そういったリトマス試験紙を手にしながら蕎麦を食べてもおいしくないと思う。
まあ、へぎそばを食べるときはそんなことまで考える必要はないんだろうけどネ。