【 喜作とチカ 】


 私の母方の祖父母は佐藤喜作と佐藤チカです。
 喜作じいちゃんとチカばあちゃんには会った記憶がありません。


佐藤チカ 佐藤喜作

 喜作とチカは大正6年4月23日に結婚(喜作21才、チカ20才)し、喜作の生家である「ハバタ(屋号)」(中魚沼郡岩沢村大字岩沢4865番地の2)で新生活を始めました。その2年後には喜作の父が亡くなってしまいます。
喜作の母はすでに亡くなっていたので、喜作は23才で一家の大黒柱になったようです。

 喜作とチカが亡くなった年月日は不明ですが、二人の内孫(私の従兄)に聞いたところ、喜作は昭和35年頃(65才の頃)に食道ガンのため小千谷病院で、チカは昭和37年頃(66才頃)「ハバタ」の自宅で亡くなったとのことでした。
 私は子供の頃「ハバタ」の家があった小土山で、葬列を見たおぼろげな記憶があるのですが、従兄の話を踏まえると、チカばあちゃんのお葬式だったのではないかと想像しています。

 喜作とチカには9人の子供が生まれ(そのうちの4人は幼くして亡くなってしまった)ました。
長男:仙作(大正6年生れ)「ハバタ」の跡取り
二男:春平(大正9年3月26日生れ 大正9年4月6日午後2時死亡)
三男:道作(大正11年5月1日生れ 大正13年9月18日午後11時死亡)
長女:ギン(大正14年1月23日生れ 大正14年4月17日午前10時死亡)
四男:春平(大正15年生れ)諏訪部貢作・タマの養子
二女:チノ(昭和4年生れ)藤木常夫と結婚
三女:ナカ(昭和6年生れ)阿部孝市と結婚 <私の両親>
五男:喜八(昭和9年生れ)大渕正之・フヂの養子
六男:作蔵(昭和12年5月20日生れ 昭和12年6月8日午後3時死亡)

 ちなみに、私が生れた際の(父親の)戸籍簿には「昭和参拾〇年〇月〇日小千谷市大字岩沢四千八百六十五番地の二で出生父阿部孝市届出同月八日受附入籍」とあります。
 私は母親の実家、喜作じいちゃんとチカばあちゃんの家、「ハバタ」で生れたのでした。
 ハバタのじいちゃんばあちゃんも、きっと喜んでくれたことと思います。



佐藤喜作

 佐藤喜作は明治28年6月2日に、佐藤平八とヲトの長男として生まれました。
佐藤平八は安政4年2月15日に生れ、大正8年4月4日午後10時に亡くなり(62才)ました。 ヲトは元治元年6月20日に生れ、明治41年8月12日午前10時に亡くなり(44才)ました。



佐藤チカ(旧姓羽鳥)

 羽鳥チカは明治29年8月7日に、中魚沼郡真人村で羽鳥徳松とマツの二女として生まれました。



 「ハバタ」があった場所(青色破線の円の中の青色の〇)です。


 「ハバタ」があった場所(青色の〇)です。


 県道413号から、「ハバタ」があった場所を写しました。(2019年5月) 

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