【 孝市少年 】


 オクデの4代目は阿部孝市、私の父親です。

 昭和5年1月生まれで血液型はB型(父親の手術の時に輸血したので覚えています)、甘いものが好きでした。
 以前地域の人と山の畑で立ち話をしていてササゲの話になり、「私はササゲを善ざいに煮て食べます」と言ったら、「お父さんと同じだね~」とおっしゃっていました。
地域の人にも知られているくらいの甘党だったのです。

とても働き者の父でしたが、ガンを患い、49才で亡くなってしまいました。

古いアルバムを見ていたら、昭和15~19年頃の孝市少年の写真があったので、スキャンして拡大して整理しました。




写真の右下に「2600年記念 尋五」とありますから、皇紀2600年の記念に写した写真だと思います。




上の画像の一部です。
皇紀2600年は昭和15年で、孝市少年は尋常小学校5年生の10才でした。




輪郭周りの線は、これが孝市だというのが分かるように誰かが書いたものだと思います。
もう少し外側に書いてくれればよかったのに・・・。
もっとも、全く記憶にありませんが、私だったのかもしれません。






昭和16年度 岩沢国民学校の修了記念アルバムです。
国民学校(こくみんがっこう)は、昭和16年3月1日に公布された「国民学校令」により従来の小学校が改組されて発足したもので、4月1日から「尋常小学校を国民学校初等科(修業年限6年)に、高等小学校を国民学校高等科(修業年限2年間)としたものだそうです。




表紙をめくると「教育に関する勅語」と「青少年学徒に下し賜りたる勅語」が記載されています。
父親の世代だとこのような教育を受けているので、米国のWGIPを受けても簡単に反日に転向することは無かったと想像します。




アルバムには初等科の卒業生と高等科の卒業生の写真がありましたが、孝市少年が写っているのはこの初等科の卒業写真です。




上の写真の一部です。




孝市少年は12歳、国民学校初等科(現在の小学校6年生)を卒業しました。






昭和18年度 岩沢国民学校の修了記念アルバムです。




こちらも表紙をめくると「教育に関する勅語」と「青少年学徒に下し賜りたる勅語」が記載されています。




このアルバムにも初等科の卒業生と高等科の卒業生の写真がありましたが、この年に孝市少年が写っているのはこの高等科の卒業写真です。




上の写真の一部(右下の部分)です。




14才の孝市少年は国民学校高等科を卒業しました。






この写真は何年のものか不明ですが、以下のことからも終戦前だと想像できます。
階級章(兵長か)と思われるものをつけている方(軍刀と思われるものを持っている方もいらっしゃいます)は陸軍軍人だと思います。
その方々の後ろに少年たちが勢ぞろいしています。
後ろの建物は国民学校の校舎です。




上の写真の一部(左端・中央部)です。
写真に印がありました。




孝市少年は終戦の段階で15才、18年度の国民学校高等科卒業時点で14才です。
その頃の写真だと想像します。

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