【 父親の祥月命日 】


今月は父親の祥月命日がありました。
今生きていれば87歳なのに、38年も前に亡くなってしまいました。

父親が亡くなったという知らせを受け取った時、私は勤務中であり、その時行っていた作業は階段の掃き掃除でした。
もちろん仕事に貴賤は無いのですが、父親の死に目との引き換えが掃除だったことは考えさせられるものがあり、勤務先で少しは偉くなろうと思って、その後勉強して試験を受けたりしたのでした。

これまでは命日であっても自分自身が何をするわけでもなく、時にはその日が過ぎてから「あ、昨日は命日だった・・・。」というような親不孝者だったのです。
母親がきちんとやってくれているから、その間はお任せしておこうという思いもあったのですが、弁解にもなりませんね。

今年は母親が命日のことを出来ないので、替わって行うことにしました。
そうは言っても、母親は月命日にもお供えをしていたのですが、それは容赦させてもらって祥月命日だけです。

父親は良く働く・体を動かす人だったせいもあってか、甘いものが好きでした。
もちろんそのことを知っているから、今年の祥月命日にも、妹は甘酒・ビスケット・ゼリー等を仏壇に供えてくれました。

私は・・・、スーパーで買った五目おこわとぼた餅、自家栽培のイチゴ、母親が栽培したササゲで作ったぜんざいを供えました。
それから、母親はカセットテープに録音した「お念仏」を仏前で流していたので、それも流しました。

38年前に録音されたお念仏は、父親の母親や「まき(本家・分家の関係をもつ家同士をよぶ呼び名)」のおばあさんたちが唱えたもので、皆さん既に亡くなっているのですが、父親もその人々の声を懐かしく聞いていることでしょう。



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