『夢であいましょう』はNHKのバラエティ番組で、1961年4月から1966年4月まで毎週放送されたのだそうです。 見た記憶はありませんが、タイトルは良いなと思います。 会いたいけれど会えない人の夢を見ることもありますが、そういう時はとてもうれしいものです。
逆に会いたくない人の夢はちょっと辛いですね・・・^^;)。
先日は『夢であいましょう』どころか『夢で怪我』をしてしまいました。
怪我はいずれ治るからいいけれど、ボケが進んでいるのではないかと、不安にもなっています。
細かいことは覚えていませんが、猿に襲撃されているような場面でした。
私の右側から攻撃してきた猿を、握った右手で強く叩きました。体は正面を向いたまま、右手を振り回すような形で叩いた状況で、ここまでは夢の世界です。
ところが、夢を見ながら体も動いていたようです。
そう、夢と似たような状態で握った右手を一振りしていたのです。それだけであれば何の問題もなく、目覚めなかったかもしれないし、目覚めたとしても「あ、こんなことしていたんだ」でそのまま眠りについたでしょう。
しかし実際は、右手を一振りした先には壁があって、その壁を強打していたのです。 これは夢ではなく現実で、壁を叩いた手の痛さで目覚めました。
ただ、確認するまでもないだろうと思い、横になって目を閉じたままで、間もなく眠りました。
翌朝その場所を見てみると、想像した程度の傷がありました。
それほど痛みもないので、この数日手掛けていた「SPレコードプレーヤーの筐体を作る作業」を1時間くらいやりました。 ペンキを塗る、鋸で板を切る、電動ドリルで穴をあけるというような行動です。
午後からは定期的な通院だったので、車を運転して隣の市まで行きました。
途中でホームセンターに寄って、筐体づくりの部品を購入してというように、何の問題もなく・・・。
ところが、診察が終わって手続きを待っている16:00くらいから右手首が痛み出しました。
いつものように薬局で薬を購入した後はスーパーに寄って買い物をしようと思っていたのですが、とてもそれどころではありません。 薬局は行かないわけにはいかないので立ち寄ったものの、スーパーには行くことができませんでした。
帰路は車の運転中も痛みがひどく、ウインカーのレバーを動かすのもやっとで、ハンドルは左手で握るしかありませんでした。 帰宅後、とりあえず湿布薬を貼りました。
その頃には箸を持つこともできないくらいになっていていましたが、幸い動かさなければ痛まないので、インドメタシン配合の湿布に期待して休みました。
ありがたいことに翌朝は痛みがだいぶ引いていました。 握力はありませんが箸を持つことができます。
ただ、手を握ってみると腫れているだろうと思われる感覚があり、湿布を貼りかえる時に見たらやはりけっこう腫れていました。 小指の付け根のところ、昨朝はすり傷程度だった場所ですが、湿布をはがした後血が滲んできました。 これは血液サラサラ薬の影響かもしれません・・・。
湿布を貼り替えながら、このまま痛みが引くことに期待します。 ちなみに腫れ具合を比較するために・・・、左手、通常の状態です。
日が替って1月8日夜、湿布をとってみると、腫れは少し増しているように見えます。 でも、痛みがないのでありがたい。
風呂上りの状態、温めたせいか腫れがさらに増しています。 痛みは無いものの、十分にタオルを絞るだけの握力はありませんでした。
右手と左手を並べて写しました。
今夜も湿布を貼って休みます。 あと2~3日すれば、除雪のスコップも十分に使えるようになると思います。
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