【 私は組長だった(?)。 】

 このHPでも何度か書いたが、私が住んでいるのは新潟県小千谷市岩沢という所である。岩沢は 「いわさわ」と読む、昔は中魚沼郡岩沢村だった。はっきり言ってなーんにも無いところ・・・、豊富にあるのは冬の雪くらいだろう。

 この岩沢地域は幾つかの地区に分かれていて、それぞれの地区が「町内会」を構成している。 私の所属する町内は「町中町内」といい63戸で構成されている。町中(まちなか)と読むのだが、「僻地なのに町中とはこれ如何に」っていうなぞかけが出来そうである。

 町中町内はさらに十数戸単位で構成された「隣組」というユニットにわかれている。 町内会費の徴収や回覧板の順送りはこの隣組単位で行われるわけだが、 隣組って言えば「とんとんとんからりと隣組・・・」っていう歌を聞いたことがあるが・・・、このことだろうか。つまり、それって戦時中からのものってこと?。

 「私は組長だった」って書くと、なんだかすごいことになっていそうだが・・・、実はこの平成12年度、私はこの隣組の組長だったのだ。(前置きが長かったわりにオチがつまんなくて恐縮です。)
 組長の仕事は町内会費の収集、地域の行事への出席依頼(ほぼ順番になっている)、市や学校から配布される配り物の配布などであり、簡単に言ってしまえば雑用係りなのだ。

 私は高校まではこの地域にいたがその後の十数年間は県外で暮らしていたので、数年前Uターンした時、地域のことには疎く何もわからない状態であった。
 例えば「○○さんちのご主人は△△に勤めている」とか「××さんの子供さんは中学生になった」とか・・・。そういったことを、私は「地域の一般常識あるいは一般教養」と呼んでいるのだが、テストをやったら確実に落第点だと思う。

 こんな私が、ようやく組長の役目を終えることとなりホッとしたのもつかの間、なんと来年度は「会計」をやることになった。 会計といえば町内会長・副会長と並んで3役であり、偉いのだ!。一方で、言うまでもなく、いろいろと大変である。やりたくはなーい!。

 町内のことについて、今までは避けてきたのだがそういったことへの反省の意味もあり、「あんたやってみろよ」という意見に頷くことにしたのであるが・・・、さてさて、どうなることやら・・・。

 やらなければならない以上、せっかくの経験だから、これを機会に「組長Aべ」と「会計Aべ」の奮闘ぶりを書いてみようと思いたった。
 タイトルをどうしようかと思ったのだが、あくまでもシャレで「会長への道」でどうだろう?。
 例えば代議士が幹事長を経験し、大臣を経験して総理大臣を目指すように、組長・会計をステップにして町内会長の座を狙っているみたいで楽しいでしょ?。


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