【 ノゲ山跡 】

小千谷市の芋坂地区の国道から信濃川を挟んだ対岸を見て「昔山崩れがあったのではないだろうか?」と思われる地形を目にしていました。
そこは中越地震の時にも崩れたので、崩れやすい場所であり過去にも崩れていたに違いないと思うに至っていました。

そう思いながらもそのことを確かめることなく過ぎていましたが、小千谷文化という冊子の中にその記述がありました。
それには「ノゲ山跡」と書かれています。ノゲとは、脱落するという意味の「ぬける」のことで、 「ノゲ山跡」とは「ぬけた山の跡」ということだと思います。

ここでは現地の写真も併せてご覧いただきたいと思います。

(2017年12月7日)


ノゲ山
「ノゲ山跡」が記された絵図です。

小千谷市文化財協会 平成元年度「街道を歩く会」岩沢川井方面略図 6月26日
(小千谷文化 第116号 P47)

「小千谷文化116号」の記事です。
なお、矢久保さんの記述「明治43年12月26日夜」は、今井亮平さんの記述では明治42年となっていますが、どちらが正しいのかは不明です。

2つ上の絵図に出ている「ノゲ山跡」は薄ピンク色でマスキングした辺りです。
下の3枚の画像は赤い○地点から、その方向を写しています。

ズームなしです。

少しズームです。
画像中央部の小山状の部分も、小千谷文化の「約3万7千5百立方メートルという大きな山崩れが信濃川へ押出し、対岸の時ノ島耕地も埋めた。」という記述が納得できる地形です。


さらにズームです。
滑り落ちた山肌に土留め工事が施されていますが、それは中越地震の後に施工されたものだと思います。

中越地震直後のこの付近の状況(写した場所は上3枚の画像と同じではありません)はこちらでどうぞ

中越地震


中越地震直後の画像を紹介したページの一番下の画像が、この画像下側の小山部分です。

 

別の日に、上の画像3枚を写した場所から小千谷市街地方向に200mほど移動した場所から写しました。


少しズームです。
雪が50センチくらいある状況なので、滑り落ちた感じが一層良く分かると思います。


さらにズームです。


さらにズームです。


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