山口庭園と資料館(敬山閣)

 

公益財団法人「山口育英奨学会」が運営する「山口庭園と資料館(敬山閣)」は長岡市小国町横沢にあります。

山口家は戦国時代には上杉謙信の家臣で郷士でした。
上杉家が会津に国替えになったとき、小国郷(現在の長岡市小国町横沢)に移住し、新たな土地を開墾し、農業に従事しました。
小国は江戸時代後期には羽前上山藩の領地となり、山口家はその大庄屋格(村役人)を務めました。
明治時代の当主山口権三郎は殖産興業をすすめ、様々な事業(石油・鉄道・銀行・発電・教育)を興しました。
山口権三郎は現在の財団理事長山口敬太郎氏の高祖父にあたります。
<財団のパンフレット等から>

山口権三郎が興した発電事業の中核である「塩殿発電所」についてはこちらをどうぞ。
私が山口庭園・敬山閣を訪問したいと思ったきっかけ、山口権三郎を知ることになったきっかけは塩殿発電所です。

塩殿発電所跡
塩殿発電所跡 <建屋跡>
塩殿発電所 建設の経緯
塩殿発電所取水口跡

(2018年10月17日訪問)
駐車場から「山口庭園・敬山閣」がある方向へ向かいます。
立派な門がありました。
入ります。
上の画像の門を入ったところで写しました。
この画像右側の白い建物が「和紙館と雪国くらし館が入った建物・事務所」で、その奥側・中央の白い建物が敬山閣、その隣りの小さな白い建物は漆器館です。
ここから左方向に進みます。
山口庭園は、
きれいに整備されています。
庭園から、敬山閣など資料館方向を写しました。
山口権三郎
山口権三郎の胸像です。
初代理事長山口順太郎の胸像です。
事務所の前にあった山口庭園の案内図です。
敬山閣(山口育英奨学会)
敬山閣正面です。
山口家の歴史をたどると共に、山口家に所蔵されていた古文書や収蔵品などを見学できます。
敬山閣の1階は、山口家の歩みと地域貢献の展示です。
旧山口邸の住宅模型です。
古文書が展示されています。
敬山閣の2階です。
人材育成に関する展示です。
権三郎は、明治5年横沢村に独力で小学校をつくって村に寄付し、明治25年には実業学校「修習館」を長岡に開校しました。
山口権三郎の交流を紹介した展示です。
東郷平八郎の直筆です。
井上毅の揮毫「修習館」
井上毅による「修習館」の揮毫です。
3階は初代理事長(山口順太郎)と2代目理事長(山口敬太郎)のコレクションゾーンです。
2代目理事長が集めた、国鉄の入場券が展示されています。

2代目理事長は大学時代に東大旅行研究会に所属し、昭和41年1月時点で国鉄全線20,360Kmを乗りつぶしたのだそうです。
勝手ながら、国鉄OBの身としては親近感を覚えます。

 

鹿児島発東京都区内行き片道切符です。
学割を利用しているところも良いなぁ。

初代理事長の「世界の民芸品コレクション」です。

和紙館と雪国くらし館がある建物です。
左側の入り口が和紙館で、右側が雪国くらし館です。

和紙館の入口です。

和紙館には、重要無形文化財である小国和紙の製造用具一式や

山口権三郎が小国和紙の改良再興を図るため、

明治中期、土佐の高知から求めた製造用具などを展示しています。

雪国くらし館では、小国郷で明治後半から昭和初期に使用された農具や機織機などを展示しています。

入り口を入って右側には「ムシロ」を作る際に使った器具が展示されています。

他にも、田畑を耕す器具や、

唐箕など収穫に使う道具の展示や、

囲炉裏端の様子を再現した展示もあります。

2階に上がりました。

2階のスペースには調度品などが展示されています。

漆器館です。
明治から大正にかけて山口家の祝事に使用された漆器の膳や婚礼衣装、当時収集した掛け軸、陶磁器、刀剣などを展示しているそうです。

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