2001年6月、大阪の小学校乱入児童殺傷事件を巡る報道を見て思うことは「死刑制度の存続」と「犯罪の不成立に係る条項削除」の必要性である。
死刑制度存続の必要性については「Aべが考えていること」の4. 死刑廃止論について <'99.7>に書いた。
少年による凶悪犯罪の多発や今回のような事件を目の当たりにする時、改めて「犯罪の不成立に係る条項削除の必要性」を感じる。同じようなお考えの方も多いと思う。
ご存知のように、刑法では責任能力の無い者の行った行為は罰しないこととしている。
第39条(心神喪失及び心神耗弱)
1心神喪失者の行為は、罰しない。
2心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。
第40条(責任年齢)
14才に満たない者の行為は、罰しない。
・・・ ということは、状況がどうであれ罰しないということであるが、せめて「その刑を軽減することができる。」くらいしたほうが良い。
何が何でも罪は問わない・・・、 これは「いくら人を殺してもその犯人の命だけは保証する」という死刑廃止と通じるものがある。
これらは教育罰に重心を置いた考え方であろうが、その行為によって損害を被った者にとってはやりきれない。
私はどちらかというと応報罰の方に重心を置くが、こちらの観点に立てば、罰に責任能力の有無は関係無い。
ところで、心神喪失者や心神耗弱者の起こした事件が報道される時に思うことがある。
医学の進歩なのか研究者の成果なのか「何々症」とか「ナントカ症候群」とか・・・、実に様々な精神的な障害があるということである。
私なども、一応問題無く生活しているつもりでも何か変な事件を起こしたりすると「ナントカ症候群」に分類されるのかもしれない。研究者が寄ってたかれば誰でも心神耗弱にされてしまうんじゃないだろうか。
見方を変えると、ちょっと工夫すれば心神耗弱くらいになれるんじゃないかと思ったりする。
あの報道を見た仲間も同様なことを言っていた。彼は
「殺したい奴がいたら、1年くらい前から奇妙な行動をして2〜3回病院に入ってからやれば刑の軽減くらいは可能かもしれない。」っていう具体策まで示してくれた。
実際、今回の犯人も心神喪失を装おうとしたのではないかと思われるような供述をしている。
道徳や倫理観が希薄になってしまった日本人を律するものは罰しかないだろう。
例えば殺人や傷害については、「人を殺したら死刑になる」「人を傷つけたら同じような目にあう」・・・、基本的にはこれで良いのではないか。
心神喪失や心神耗弱の状態に陥りやすい者の犯罪を防止する方策は刑法とは別の次元の話である。
その人の人権が問題になるのは、言うまでも無く刑法のほうではなくて、こちらの方である。刑法から
犯罪の不成立に係る条項を削除しても人権問題はおこらない。
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