【 鯨 】


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 以前、「Aべが考えていること」の「40.捕鯨('00.8)」で捕鯨について思うところを述べたことがあった。

 2002年1月、大浦町の小湊海岸というところにマッコウクジラが13頭打ち上げられたという。1頭は救出することができたが他は死んでしまった。
 関係者は、彼らのことを考えると、死骸をどう処理するかで悩んだんだろうなぁ。彼らとは「生きている鯨が好きな人達」「自らの文化以外を認めない人達」である。

 鯨が海岸に打ち上げられることはまれなことでは無いそうで、2月にも同様なことがあった。
 その時は、打ち上げられた鯨の肉を食べてしまった人もいたそうである。「食物としての鯨が好きな人」の仕業かな? ^^;)。
 個人的にはそれを食べたいと思わないが、食べても悪いことは無いと思う。
 この騒動を報道した番組のインタビューに応えていたおじさんのコメントには「死んだ鯨を食べてなんで悪いの?。」というのがあったが、私も同感である。
 打ち上げられてまだピンピンしているのを殺すのは気が引けるが、衰弱しきって助かりそうも無くなったら食べる方が良いんじゃないかとさえ思う。
 同時にその番組では、「農水省は『衛生上、死んだ鯨の肉は食べるな』と言っている」旨の紹介があった。
 しかし、何かの病気で死んだとか死んでから日が経ったということであれば別だが、打ち上げられて力尽きたのであれば食中毒の心配も無いだろう。
 思うに、衛生上云々ではなく「生きている鯨が好きな人達」「自らの文化以外を認めない人達」の声が気になるんだろう。

 一方最近、ノルウェーから鯨肉を輸入しようという動きがあるそうで、その理由の一つが「若い人に鯨を食べる文化を継承したい」ということらしい。
 「40.捕鯨(’00.8)」でも述べたとおり「鯨を食べた経験のある昔の人達がいなくなれば、日本でも鯨は必要では無くなる」わけだが、それを阻止しようというのである。「負けてたまるか」という気概が感じられるように思う。

 しかし、そういった計画を進めるためには、「誰が何と言おうが、食いたいから食う」ということだけでは彼らの勢いを抑えることができない。やはり「文化のぶつかり合い」を挑み、勝利しておかなければならない。
 そうでなければ、何時までたっても後味の悪い鯨肉を食べることになるだろう。
 
 Aべの提案は「40.捕鯨(’00.8)」に述べたとおり。
 
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