【 蔵王堂城跡 】

蔵王堂城(ざおうどうじょう)は、現新潟県長岡市西蔵王の金峯神社及び安禅寺の位置にあった日本の城です。

(2021年5月10日訪問)

金峰神社の拝殿西側から蔵王堂城跡方向を写しました。

毘沙門堂にあった絵図を写しました(少し補修)。

石橋と堀です。

石橋の上から堀を写しました。

絵図に「蔵王堂城址」と記されている小山です。

小山の上から安禅寺・観音堂・堀直寄(ほり なおより)像の方向を写しました。

堀直寄(ほり なおより)像です。

毘沙門堂(左側)と観音堂(右側)です。

毘沙門堂です。

近づいて毘沙門堂を写しました。

毘沙門堂と観音堂の間を抜けて蔵王稲荷に行くことができるようです。
 

上の画像の赤い門のようなところをくぐってから写しました。
ここを左に進むと蔵王稲荷です。

蔵王稲荷の鳥居と祠です。

蔵王稲荷、祠の内部です。

「念三尸滅」の石碑です。

三尸( さんし)についてウィキペディアでは次のように解説しています。
道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。
 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。
一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。

正善霊神の鳥居と石塔です。

正善霊神の石塔です。
蔵王観世音菩薩です。

観音堂です。

蔵王堂の前側から安禅寺(あんぜんじ)方向を写しました。

安禅寺についてウイキペディアでは次のように解説しています。

長岡市西蔵王3丁目にある天台宗の寺院。等級は七等。
かつては蔵王権現を祀る蔵王堂(現在の金峯神社)の別当寺であった。明治時代に廃仏毀釈により一時廃絶したが、後に復興した。
明治4年、蔵王堂は神祇として金峯神社と改称され安禅寺は廃寺となる。明治18年(1885年)に千春住職により復興。その後、後継者が途絶えたため、現在は上越市五智の明静院が管理。
境内の保存維持は地元有志が組織する「蔵王堂城史跡をまもる会」によって行なわれている。

別角度で安禅寺を写しました。

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